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「教室でPC」の思わぬ弊害

 最近の学生。PCを教室内に持ち込んで講義をノートする、というのが多いです。時代の流れ、でしょう。

 しかし、日本のTV風に言えば「ソレダメ!」です。

 なぜか。それは、PCを使っていると周りにいる人達の気をそいでしまうから。つまり、受動喫煙と同じ。本人がハッピーでも回りが迷惑。

 これ、最近の研究でわかってきたことです。読みやすいものでは、例えば次の記事をごらんあれ。

http://www.theglobeandmail.com/life/parenting/back-to-school/laptops-in-class-lowers-students-grades-canadian-study/article13759430/

 ちなみに、教員の目からみて学生のPCは目障りなのは言うまでもありません。小さな壁が学生の前に立っている格好なので(実際、講義そっちのけでインターネットを見ており、ニヤツイている輩も見受けられる)。

 実は、ノートのための道具として真面目にPCを使うとしても、本人にとってためにはなっていないのが事実。情報を頭の中に入れるのには、紙に自分の手でもって書く動作のほうが効果的なのです。これも研究で実証ずみ。

 ここまでは教員と本人の問題なので、本人が「自分の勝手」といえばなんともしようがないのですが、「他の学生にとって迷惑」となると話がちがってきます。

 ということで、ワタクシが担当している科目では基本的にはPC持ち込み禁止。「えっ、そんな極端な!」と思うなかれ。教室が禁煙となっているのと同じ理屈。

 それとスマホも禁止。ご心配なく。休憩時間があるので、その際に学生諸君、フェィスブックをチェックできます。にもかかわらず、コッソリ講義中にスマホチェックしている輩がおる。まさに中毒症状。

 実際、政治哲学を教えている同僚の話よれば、スマホが出始めてから学生の集中力が落ちているとのこと。さもありなん。政治哲学のような抽象論を考え抜くという知的作業には集中力が欠かせない。スマホ中毒恐ろしや。

 ということで、時代の流れに歯向かう「無駄な抵抗」かもしれないけれども、「他人への迷惑お断り」という理由でPCは教室内禁止、という方針を今のところは貫いております。他の同僚のなかには許可している者もいて、対応は千差万別なんですが。

 


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カナダ・多様文化主義とオリンピック

 カナダは多様文化主義の国。多様文化主義は Multiculturalism の訳。アメリカは「人種のるつぼ」(「るつぼ」は Melting Pot)、つまり移民も同化して「アメリカ人」になるのとは対照的に、カナダは「サラダ」に例えられる。つまり、サラダではそれぞれの食材が形を残しているように、カナダでは移民も出身国の文化を維持することができるーーつまり多様な文化の存在が許されるーーといわれる。パスポートはカナダのものかもしれないが、文化的には出身国のそれを維持している「カナダ人」が多い。

 で、学生のうちのひとりがクラスでのたもうた。

「そういった『カナダ人』のアイデンティティーを簡単に知る方法がある。」

「サッカーとか国際試合のとき、どこの国のチームを応援するかで、その『カナダ人』のアイデンティティーがわかる」とな。そういえば、リトル・イタリーにいけばサッカーのテレビ中継をよくしているが、イタリアを応援している「カナダ人」が多い。

 そういったことを頭に浮かべながら、なでしこジャパンを応援してしまった、このワタシ。テレビで見ました。日本対カナダ。思わず日本を応援してしまいましたね。

 日本人であることを再確認しましたーー人生の半分以上、北米に住んでますけど。

テーマ : カナダ
ジャンル : 海外情報

ザルツブルグ・グローバル・セミナー

から帰ってきました。

 次のサイト、ごらんあれ。

http://www.salzburgglobal.org/current/index-b.cfm

出席した会議は、アメリカとアジアとの関係をテーマとしたもの。

http://www.salzburgglobal.org/current/sessions-b.cfm?IDSpecial_Event=3260

アメリカならびにアジア各国から、16名ほどの参加者がありました。  えっ、私?カナダに住んでいますけどニッポンからの参加という形になりました。

 ザルツブルグは今回、初めて。アルプスの雰囲気で、カナダのロッキー地域を思いだす風景。ザルツブルグ地域はそもそも大司教が統治していたというユニークなもので、会議の合間をぬって、中世から続く町並みを散策して楽しみました。会議が開催された Schloss Leopoldskron もそもそもは大司祭の「夏の宮殿」として18世紀に建てられたもので、趣きがあります。

 ザルツブルグはモーッアルトが生まれ住んだ町ということでも有名。観光客も多かったです。あと、サウンド・オブ・ミュージックの舞台もここ。Schloss Leopoldskron の一部もトラップ家邸宅として撮影されています。

テーマ : 教師のお仕事
ジャンル : 学校・教育

競争的研究計画書、審査員の立場を考えよ

 先日、研究計画書に関するアドバイスをあげていた博士課程院生が研究室に飛び込んできた。ニコニコして飛び込んできた。

 彼女の研究計画書、実はカナダ政府奨学金の申請書であったが、無事に射止めたとのこと。メデタシ、メデタシ。いやー、よかった。この奨学金、全国競争なのでなかなかもらえない。もらえば「勲章もの」。なので、本人も大喜び。

 このアドバイス、実は複合的なものであったが、その核になる点は以下の二つであった。

 「研究計画書は『学術作品』と考えて漏れがないようカチッと作るのはいうまでもないが、より大切なのは審査員が『これは奨学金をあげずにはおられない』と思うような、ワクワクするような現代的キーワードを使って研究テーマを伝えること。」これが一つめ。

 二つめは、「そのテーマ、他人ではなくて自分こそが最適の研究者であることをさりげなくアピールすること。」

 言い換えれば、審査員の立場になって考えろ、とくに審査員が「数ある応募者のうち、アンタ、良いよ」といってくれるようなネタを考えよ、それも自分の強みを考えて、ということである。

 審査員、やっぱり世間のためになる研究をサポートしたい。となると、審査員がそう思ってくれるように、院生は研究計画に「装い」をほどこすことが肝要となる。仮に内容が同じでも「装い」が古臭くさいのとナウいのとではウケが違うのである、審査員のウケが。このナウさをほどこすためには現代的キーワードが必要となる。もっといえば、そうできない研究テーマはやめて別のものにすべし。そうでないと、(奨学)金がもらえない。

 その上、「この計画・・・あんた、これ実行できるの?」と審査員は尋ねてくるに決まっている。そこでアナタは以下のように反応しなければならない。「ハイ、できます。というのも私にはこういった適切な経験やスキルがあります。他の人はこういうの持っていないので、私だけです、この計画をうまく実行できるのは。ねっ、だから(奨学)金くれ!」そういうつもりで、研究計画書をあらかじめ組み立てておくのである。

 そう、これはまさに孫子の応用。知彼知己、百戦殆。彼(敵)を知り、おのれを知れば、百戦あやしからず(あぶなくない)。Know your enemy and know yourself, and in 100 battles you will never be in peril.

 以前のブログエントリーでも触れたけれども、この戦略、就職面接、大学院入試等々、「人が人を選ぶ」という状況にピッタリ使えます。孫子の偉大さ、つくづく思い知らされる次第。

 実は孫子センセー、百の戦いに全部勝つ、とは言っていない。「あぶなくなることはない」としか言っていない。なぜか?それは運というものがあるからである。

 研究計画書も同じ。孫子流に完璧なものを提出しても、応募者がどうしようもない要因が選考には必ずかかわってくる(選考委員会の構成など)。これはどうしようもない。

 しかし、である。孫子流に完璧なものを作らないと、アナタの研究計画書は最終選考まで残らないであろう。その後は運があるので分からないが、そこまでは確実にたどり着かないと話にならない。勝負の土俵にまずは上がらないと、勝負には勝てないのだから。孫子流戦略こそが、その土俵に上がるためには必須なのである。

 孫子センセー、ほんとにエライ。


 

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ジャンル : 学校・教育

学術雑誌の査読制度は衰退するか?

 というテーマに関する記事が最近の New York Times に出ています。次のところ。

http://www.nytimes.com/2010/08/24/arts/24peer.html

 北米の学界では、(少数の分野を除いて)学術雑誌に論文を掲載することによって業績を築き上げていくことが当然視されています。提出された論文原稿を学術雑誌に掲載すべきかどうか同業者が批判的に判断しますが、このことを査読と呼びます。英語では peer review 。で、そのような査読の制度付きの学術雑誌が peer-review journal。
 
 大学教員として就職後、こういった論文査読制度を「かいくぐる」というか、生き延びて業績を積んでテニュアーをもらっていきます。俗にいう  「Publish or perish」(publish とは論文を出版するという意味)。論文出版しなかったら、待っているのは「死」というわけ。

 院生も博士号を取得する前に、こういった査読論文を一本は出版していないと就職競争に負けることが多いです、最近は。

 もっといえば、論文出版の試練は修士レベルから始まっています。たとえば、カナダ政府機関が公募する博士課程奨学金。これ、修士課程終了間近の学生も申し込めるのですが、その申請書には「汝の論文出版物をリストせよ」とあります。これほんと。

 こういった査読制度の将来はいかに・・・・。ご関心あるむきは上の記事をごらんあれ。

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Author:プロフェッサーX
性格は理系クンに限りなく近い文系学者。仕事の合間をぬって魚釣りにいそしみ、カナダの大自然をエンジョイしている。

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