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教授になる方法:テニュアー獲得(2完)

◆天国と地獄

 めでたくテニュアーがもらえれば、そのあと一年間(つまり助教授として就職してから七年目)は、研究のみに打ち込む(講義担当なし)機会が与えられる。この期間をサバティカルという(これに関しては別の機会に説明したい)。「人生バラ色、ウキウキ、ハッピー♥」の気持ちで研究に打ち込むことができるのである。
 それで8年めからは、講義再開。准教授として、終身雇用権つきで生活できることとなる。ジンマシンと歯ぎしりもキレイに消える!
 ここまで来るのに、学部を出てから、苦節一〇何年。北米で博士プログラムを終えるのは超特急でも四年――そんなの稀も稀で、わたしは恥ずかしくも七年(さらに修士プログラムに二年)かかった――で、その上、助教授として「石の上に六年」。そうやって、やっと人並みに安定した生活が期待できるのであるから、喜びも一シオ、どころか二シオ、三シオほどもある。まさに、涙、涙のモノガタリ。日本なら赤飯炊いて喜ぶところ。まあ、それだけのオオゴトなのだ。
 しかし、人生いいことばかりではない。
 もしも残念ながらテニュアーもらえずに不合格、ということになれば、目の前、真っ暗。どん底のきわみ。それまで数年間の努力が文字通り、全てパー。ゼロ。一からやりなおし。ジンマシンと歯ぎしりがもっとひどくなる・・・・。
 不合格ならば、どうなるのか。
 その場合、七年目の最後で現在の職場から去らなければならない。そうである、オサラバ。その時点で助教授としての契約が切れる。更新?そんなの無し。そう、オワリ。バイバイ。
 で、この「最後のご奉公」をする一年の間に、ほかの大学で公募されている助教授の職に申し込む――それも六年前の自分のような院卒生と競争する――こととなる。そして、もう一度、新しい職場でテニュア獲得の試練に挑戦するのだ。(もし、学界に残りたければ。)もうここまでくれば、スポ根の世界である。『巨人の星』(1番最初のシリーズですよ)、『タイガーマスク』(これも最初のシリーズですよ)、あるいは『アタックNo1』の世界。血の汗を流して、涙をふかずに「だけど・・・涙がでちゃう・・・・」とつぶやきたくなるような世界・・・・スミマセン、思わず力が入ってしまいました。
 いずれにせよ、テニュアーが獲得できるかできないは、まさに「天国と地獄」の違い。おわかりか。
 「わかったヨ。なるほどね。で、どれくらいの割りでもらえるんだい、そのテニュアーとやら」
と江戸っ子のあなたは思うかもしれない。
 テニュアー成功率は・・・・これまた大学によりけりであるが、うちの大学では(まったく根拠ナシの個人的印象で)七〇%ぐらいであろうか。(実は正確なことは知らない。)つまり、まじめにやっていればテニュアを期待できる――はずである。
 ところが、超一流のアメリカ・アイビーリーグの大学では、なんと、六人に一人ぐらいしかこのテニュアー、もらえない。つまり、基本的にもらえないのである。
 これはツライ。ツライですよ、あなた。
 にもかかわらず、このレベルの大学では助教授の職に応募が殺到するのである――まさに超一流大学の「権威と栄光」のなせるわざなのであろう。

             ***

 ということで、テニュアーをめぐるドラマは悲喜コモゴモ。まさにドラマなのである。
 かくいうこのわたしも、昇格審査委員を務めたことが幾たびかある。合格を言いわたすときはいいが、不合格の決定を下さなければならないときは、やはり心がオモーくなる。
 あるとき、我々の委員会、とある助教授のテニュアー審査をしたわけだが、不合格とあいなった。その人、家族もちで四〇代はじめ。審査委員会も暗澹とした気持ちで決断したわけだが、審査は審査として執り行わざるをえなかった。キビシイ。で、その晩、審査委員の同僚と酒を飲まずにはおられなかったという次第。
 「うーん、まさに天国と地獄だね。合格すれば天国、ダメなら地獄ってわけか。で、アンタ、他人のことより、アンタ自身・・・・そのテニュア、もらっちゃったノ?」
 えっ、わたし自身のテニュアー審査結果?無事、天国にいかせてもらいました――ジンマシンと歯ぎしりを経て。                       
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教授になる方法:テニュアー獲得(1)

 すこし前までは、日本の大学では一旦採用されれば、定年まで安泰であった――よっぼど(社会的な)悪事をはたらかない限り。本職で体裁があがらなかっても――極端な場合、二〇年間論文一本も出さなくても――クビにならなかった。いや、コレ、ほんと。つまり、院卒新規採用と同時に終身雇用権がもらえたのである。
 この終身雇用権、英語ではテニュアー( tenure )というのは既に触れたとおり。このテニュアー、国家権力を批判しても解雇されない権利、つまり言論の自由の権利、を本来は意味した。
 「てっつーとー、なにかい、『終身雇用権』というおめえさんの訳語は、ちょっと、アレかい、もんでーじゃーネェーのかい?元来のニュアンス、正確に伝えてねぇーんだからサァ」
と江戸っ子の読者は反応するかもしれない。スルドイ指摘である。さすが、江戸っ子。
 しかし、関西人としてこのわたしは黙ってはいられない。
 「学者として一人前になったことをここに認めるので、大学教授として学問の道をまい進せよ――そのための生活保障はするから、ネ♥」
という意味でテニュアーという言葉は現在では使われているのが実情。なので、「終身雇用権」としたほうが現代日本人の感覚ではピンとくると思われる。
 どうだマイッタか。
 いずれにせよ、北米の大学では院卒新規採用の場合、テニュアーは採用と同時にもらえない。暫定採用期間ともいうべきものが、採用後六・七年も続くのである。その間、助教授( assistant professor )という肩書きで仕事をする。テニュアーをもらって准教授( associate professor )に昇進する、それでもって初めて地位的にも財政的にも安定する、というのが北米の学者の本音である。その時点で長く険しい「教授職に至る道」がとりあえず完了する――もちろん正教授( full professor or professor )になる道のりは残っているが。
 ここでは、どのような形でテニュアーがおりるのか、(大学によって実際のルールは異なるが)わたしの大学を例にして説明していこう。

◆審査プロセス

 大学教授への登竜門は、当然、まず助教授で就職すること――そのような職を tenure-track といって非常勤と区別している――である。これに成功すれば、テニュアー獲得をめざすこととなる。うちの大学の場合、採用後、五年間の間、研究と教育(それにほんのちょっとだけ行政)に専念する。
 で、運命の六年目。ダ、ダ、ダ、ダーンとなる。まさにベートーベンのあの曲がかもし出す雰囲気がやってくる。
 この年、ながなが一学年にわたるテニュアー審査が執り行われる。(この間も研究と教育は続ける。)この一学年、緊張のあまりジンマシンができる。それに、寝ているときは歯ぎしりが止まらないほどストレスが溜まる――恥ずかしながら、コレ、わたしの実体験。
 六年目冒頭、学部の審査委員会(学部長がその長)に研究業績ファイル・教育業績ファイル・行政業績ファイル、それに履歴書とカバー・レター(手紙形式で自分の業績のハイライトを並べ、「テニュアーちょうだい」とアピールするもの)を提出する。それでクビを洗って待つのである。
 研究業績ファイルには、活字出版された学術論文や学術書などといった自分の研究業績などをいれ、学問分野の知識発展にいかに貢献してきたかを示す。そのほか、自分のこれからの研究構想や現在進行中のプロジェクトなども明らかにして「生産的な研究者」であることを証明するのである。
 その研究業績であるが、テニュアをもらえるのにクリアーしなければならない量や質、というのがやはりある。そのような「合格ライン」は分野や学部によって異なる。例えば、「学術書が一本、それに論文少し」というもの。そのほか、「論文は最低何本ないとイケナイ」という内規をもっているところもある。あるいは「こことあそこの研究雑誌に出た論文しか認めないヨ――あとはクズ」というものも聞いたことがある。うちの学部は前者二つの混合型を採用している。いずれにせよ、指定されたハードルをクリアーしていなければ、テニュアー審査不合格がほぼ自動的に確定する。 
 他方、教育業績ファイルに入れるのは、「私の教育哲学」と題する小論、シラバスと呼ばれる履修要綱(自分のコースのもの)、学生のコース評価表(学生が教師を採点するアンケートが各コースごとになされる、その結果が示されている)、テスト問題のサンプルや、作成した教材のサンプル、学生が提出した論文のサンプル(学生の名前は消してある)等々。要は、教育者としての全体像が提供できるようにする。
 最後は行政業績ファイルで、自分が参加してきた委員会やそのほかの行政活動(対外広報活動など)を認めてもらうのである。
 テニュアー審査における研究・教育・行政業績間のウエィトは、だいたいのところ、七十%、二十五%、五%というのが相場――と思う。この数字は分野や学部、さらには大学によって異なるし、同じ学部内においても例外ケースがあろう。また、表向きの数字と実際の数字が違うこともある――このテのことは、内部の者にしかわからないことが多い。しかし、なんだかんだいっても、結局は研究業績がものをいう、という点では変わりないと思われる。
 仮に、教育・行政がまったくダメな人でも研究業績が抜群であればテニュアーをもらえる可能性が高い。その逆のパターン(天才的教育者で抜群の行政力もあるが、研究はダメ)というのでは、テニュアーはおりないのがほぼ確実。教育・行政の分野で少々問題あっても、研究面がよければテニュアーを獲得できるのが実情なのである。助教授連中が大学院時代のペースを落とさず、研究に血まなこになって励み、論文・著書にこだわるのも、この構造をみれば自然な反応なのだ。
 さて、所属学部の昇格審査委員会にファイルを提出した後、審査委員会は(主に)研究業績ファイルを複数の外部審査員に郵送する(うちの大学では六人)。この外部審査員はテニュアー申請をしている助教授が専門とする分野の人々で、国内外のその道のプロ。これらの人々がファイルを読んで「この助教授、学問に適切な貢献をした、しない」、つまり「テニュアー支持、不支持」と判断するのである。この判断は、当該助教授の生産した学術的著作の量と質に基本的には基づいている。ひとつの学部は、専門分野が異なる人間が集まっている団体にすぎないというのが実態であって、同じ同僚でも専門分野がひとつ異なれば、その同僚の研究業績を判断するのは並大抵のことではない。だから外部審査員に頼ることになる。
 「で、その外部審査員、何人から支持があればテニュアーとやらをもらえるんだい?」
またまた江戸っ子の的を射た質問。ウレシイ。
 うちの大学の場合、六人中五人以上の支持が必要である。つまり四人しか支持がない場合は失格。それ以下でも、もちろん失格。キビシイ。ギリギリ過半数ではダメなのである。昇格審査委員会は外部審査委員会の票を参考にして、独自に審査結果に関する最終決断をくだす。が、やはりその性質上、この六票のゆくえが決定的に重要となる。
 この結果を大学当局のエライさんが目をとおして、最後は学長の正式な決定が下される。この「学部より上」の過程では一回ないしは二回の審査が普通ある――そう、まだ続くのである、試練の道が。イバラの道が。これがまたクセモノで、場合によっては、学部委員会レベルの審査結果が覆されることもありえる。ということで、学長からの正式な手紙がくるまでは(だいたい審査が始まって半年以上あと)、オチオチ安心できない。
 だから、わかるでしょ、ジンマシンや歯ぎしりするほどストレスが溜まるのは。

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教授になる方法:就職活動(4完)

◆ついに採用通知

 採用通知がきたら、その時点で採用大学側と待遇(給料とか)の交渉となる。すぐ交渉になってしまうのが北米の特徴であろうか。(日本ではまずありえないであろう。何しろ、給料さえわからないまま採用されることもある、という具合だから。日本では、コレ、ほんと。)分野によっては大学の以外の職場で稼げる収入のほうが大きい――例えばコンピュータ工学や経済統計学など――ので、大学側はそれ相当の年収を提供しないといけないのが通常である。(わたしの分野である国際政治学は・・・・残念ながらそうでない。)年収に関しては交渉の余地があまりなくても、条件面で交渉できることがある(例えば、一年目の講義負担数を減らしてもらったり、あるいは研究費を少々あげてもらうなど)。
 採用通知をもらっても、大学側から提示された条件が良くなければサヨウナラできるし、実際そうする人もいる。契約をサインすればそれはできないが、サインするまでは条件の交渉はもとより交渉そのものから立ち去ることができるのである――もちろん、その結果どうなることか納得したうえではあるが。
 契約一歩手前まできて「やっぱ、やーめた」という御仁は、実は少なくはない。最近、夫婦ともに学者をやっているカップルが多い。一人が採用されるとなっても、もう片方の都合がうまくいかなければそうなってしまうのだ。もちろん、二人とも同じ大学に勤めることとなれば結構なのだが、なかなかうまくいかないのが世の常。(そういうこともあって、最近は「お二人ともどうぞ」という方針をとる大学もある。)この他、条件面でうまく折り合いがつかないといったようなことで「破談」となることも、珍しいことではない。
 つまるところ、採用通知がでたら「ハイ、おわり」ではなくて、「さあ、これから交渉だ!」ということなのである。まあ、ねばり強いです、北米の人たちは。
 で、あれやこれやを経て契約にサインしたら、あとは大学付近に住むところを見つけて引越しすることとなる。その後のことは普通の引越しと変わらない(大学によっては引越し費用あるいは住宅購入費用について援助をしてくれるところもある)。

                    ***

 「センセー、もう涙は終わりですか。お泣きにはならない・・・・」
 「いやー、もうココロの動揺はありません。大丈夫です。それよりも、自分が指導している大学院生を就職させないといけないので、もう泣いている暇はありません。(ここでキリリと顔が引き締まる。)」
 「センセー、一つ質問よろしいでしょうか。」
 「ハイ、どうぞ。」
 「いろいろ不文律などあるのですか、就職活動するときには。」
 「するどい質問!いや、すばらしい質問ですねぇ、いやー素晴らしい、ほんとうにスバラ・・・・」
 「センセー、それで答えは?」
 「ゴホン、あります、あります、不文律。例えば、採用通知をもらうまで、給料の話は応募者からは普通しません。採用通知をもらってからは、もちろん交渉の関係で給料の話はしてもOKですが。通知をもらわない限り、給料の話を切り出してもあまり意味がないし。」
 「なるほど・・・・」
 「それと、一度、採用の契約にサインしたら、そのあとで『間違いでした。採用取消ししてください、スミマセン』というのも問題ですね。それまでに辞退するなら大丈夫ですけど。」
 「ふーん」 
 「それにね、面談するときに採用側は応募者を吟味するわけですが、応募者も採用側を吟味するいい機会が面談ですよね。どのような学問やっているのか、その学部の『体質』や内部の取り決めはどうなっているのかとか、いろいろ外からはわからないことを応募者は探ることができるわけですから。ものおじせずに――しかし、折り目正しく――質問して観察すべきですね。とくにテニュア(終身雇用権)に関する内部でのルールなど。」
 「ほーっ」
 「もっと言えば(調子が出てきたゾ!)、応募者は推薦状を3通ほど提出するわけですけど、コレ、大切ですよ。学者ギョーカイはかなりの程度小さいんです。推薦状を読む側も、『ああ、この推薦者、個人的に知っていて信頼できる。あの人がこういっているなら、この応募者いいんじゃないか』などと思ってしまうんですねぇー。時には推薦者に採用側が直接電話して応募者のことを尋ねてみたりもします。そのうえ、応募者の評判を研究仲間から耳にすることもなきにしもあらず。こういったことも応募者はとりあえず心にとめておくべきでしょうね。」
 「センセー、わかりました。それで、センセーの場合、やはり・・・・奥様といろいろ相談されたのですか、就職活動の際には。」
 「あっ、アカン、思い出したら涙が出てきた・・・・」
 「・・・・・」
 「ガハハハ」
 「ちょっと、センセー、それウソ泣きじゃ・・・・もう!」       
 

                           

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教授になる方法:就職活動(3)

◆個人的回顧

 「センセー、センセー、それで成功率はだいたい、どのくらいなんですか?泣いてばかりやはるけど・・・・」
 なかなか具体的な質問である。ギリギリとツッコンでくる質問である。
 答えは・・・・知らない、実は。
 ホントに知らない。
 恥ずかしながら暴露してしまえば、わたしの戦歴は「12-6-1」である――十二の公募に申し込んで、六つの大学にショート・リストされ、一つの大学(今の勤務校)から採用の話をいただいた。これが平均的な数値であるかどうか、知らない。
 もちろん、抜群にできる人はたくさんのところから採用通知を同時にもらって選ぶことができよう。上には上がある。バリバリに出来て専門分野でも知らない人はいない、というような若手もいる。そのような人は超有名大学にズバッと就職が決まる――らしい。
 しかし、その逆もあって、「これまで三〇件ほど申し込んできたが採用通知は一つのみ」というケースも聞いたことがある。それでも採用通知がきたのだからハッピーエンド――とわたしは思う。下をみれば、これまたきりがない。「非常勤アリ地獄」に陥った者や別の職種に(それも三〇歳代後半に)移らざるをえない人たちもいるのだから――わたしの周りにもいる。
 オマンマにありつくことができれば御の字、すべてはそれから、というのがわたしの発想。これは特にガイジン教授として感じる。だって、そうでしょ、みなさん。オツムがすばらしい天才・秀才ならいざしらず(そういう人が多くいます、北米の学者ギョーカイでは)、わたしのような盆栽、でなかった、凡才は、四苦八苦してアクセントある英語で上でのべたような研究発表をし、ヘタッピな英語での論文を苦心して書いて発表しないと職につけないのである。それも、現地人でもなかなか就職できないのに。まさに涙・・・といいたいところだが、あまりやると「もう、いいかげんにメソメソするのはやめてください!」という声が聞こえてきそうなのでいわないことにしよう。
 
◆住みたい土地に決まるかどうか・・・

 さて、贅沢といえば贅沢かもしれないが、ショート・リストされて、大学に面接にいっても、「えっー、この街に住むのか、この大学に就職したら・・・・ちょっと、この街は・・・・引いてしまうかも・・・・」ということがやはりある。正直、実感として。もちろん、その逆もあって、「この街いいなー、住みたーいゼッタイ!」と思う土地もある。
 しかし、自分で住む土地を選べないのが、学者カギョーのツライところ。「ボク、ぜひハワイに住みたいナ、サーフィンできるしぃ」と思っても、ハワイにある大学に就職できなければどうしようもない。
 そもそも、大学側が「タマタマこの分野で空きがあるので募集します」ということなので、ある大学で自分の分野での採用の可能性が出てくるのは基本的に一生に一度のことである。それに大学数も博士号取得者に比べれば数が少ない。ということで、このギョーカイにいる限り「仕事もらえるのならば、どこまでも行きます――地の果てまでも」という態勢でなければ職にありつけない。大学を選べる――つまり生活する土地を選べる――可能性は極端に少ないのである。そんなのゼイタク。もし、自分の思い通りの場所に住みたいのならば、弁護士や会計士、あるいはカメラマンなど「手に技術」というタイプの業種のほうがよっぽどいい。その意味では、教授職はかなりセッショーな生業なのである。
 それにカナダは広い。太平洋岸にあるバンクーバーから大西洋岸の一番端にある都市(ニューファンランドのセント・ジョンズ)まで飛行機を乗り継いで十二時間かかる(乗り継ぎ待ち時間を含む)。ちなみに成田からアメリカ西海岸のシアトルまで早ければ8時間半で飛べる。つまりカナダの端から端までいくのには、太平洋を越えるより長い時間がかかるのである!
 もちろん、アメリカも広い。それにハワイやアラスカといった「飛び地」もある。さらにカナダの場合、フランス語中心のケベック州もある――そこにある英語系大学で教えるならば、英仏バイリンガルの生活となる。したがって、さまざまな土地柄があって、赴任するほうも適応力が必要となる。そう、柔軟性が必要なのだ。
 北米の外に目を移そう。この業界にいる限り、英語圏なら地球中どこでも――オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、アイルランド、香港、シンガポール、はたまた英語がよく通じるオランダ等々――行きます、行けます、職さえあれば、ということとなる。私の知っている同業者も数多くいる、北米出身で世界にちらばったのが。そういう業種なのである、学者カギョーは。
 わたしの場合、上でふれたように、幸いにも六つの大学(すべて北米にある)から面接に来るようにいわれたので、それぞれに行った。そのうちの一つは「体感気温、零下五〇度」(いや、ホント、冬の二月で風が吹いていた)という土地。「住みごこちはどうなのか・・・・」とやはり考えさせられた。(ちなみに、その地域では零下四〇度にならないと小学校は閉校にならない――「うっそぉー」とギャルが言うかもしれないが、その開けた口がすぐに凍ってふさがらなくなるくらいサムイ。)そのほか、面接にいく先々で、ホテルに到着したらすぐに不動産チャンネルをみて当地の住宅地の値段を調べたりもした。
 また、ある大学に面接にいったとき、「この街には日本料理店が一つある」と自慢げに学部長が言うのをみて複雑な心境になったのは今でも忘れられない。ちなみに、現在住んでいる都市(カナダ)で日本料理店の看板を掲げるのは500店舗ある。そうなんです、500軒なんです!(日本人がやっていない店も数多いけど)。日本人のガイジン教授にとっては、こんなことでも気になるのだーー少なくともわたしみたいなタイプの人間にとっては。

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教授になる方法:就職活動(2)

◆就職までの道

 「ふむふむ、そしたら、どないしてシューショクするのん?」
とあなたは思うかもしれない――とくに関西系。
 よくぞ尋ねてくださった。オオキニ。
 まず、公募がある(そのテの業界紙などで見つける)ので、それに申し込む。履歴書、これまで出版した学術著作、教歴を証明できるもの等々をカバーレター( cover letter 自分を売り込むための手紙)を添えて送る(学術著作の数と質が特に大切)。加えて、推薦状を三本ほど手配する(指導教官とかに依頼する)。日本語でいう完全公募で、「出来レース」はほぼ皆無と思ってよい。自分が博士号をとった大学の職に応募するのを禁止している大学も多い(著名な例外は昔のハーバード大学(米国))。
 そうなんです、自分の出身大学には博士号取得直後には勤めることができないというのが普通。少し前の日本では逆の原則が普通であった。そう、逆。つまり自分の出身大学にしか勤めることができない、あるいは採用する方としては自分の大学出身者を最優先して雇うという原則である。このような自己培養型、日本でもまだ残っているような気がしないではないが、まあ、昔はもっとすごかった。
 本題にもどって、北米の話を続けよう。
 一つの職に一〇〇以上の応募者が殺到するのは、最近では普通だが(そう、それだけ競争が激しいというか就職先の数が多くないのだ)、書類選考で三・四人まで絞られる(ショート・リスト short list という)。そして、ショート・リストされた者たちが一人一人個別に招待される。そのとき、学部の採用委員会による面接の他、その学部に所属する教員・大学院生一同の前での研究発表をやらされる。さらには、実際のクラスで講義をしたり(教育技術のデモンストレーション)、大学当局の役職についている人たちとの面接、大学院生との面談などが課せられることも多い。そして一連の招待がおわったところで、ショート・リストされた候補者たちから一人選ばれるわけである。(好ましい候補者がゼロの場合は、公募のやり直しとなる。)
 候補者側からこのプロセスをみてみよう。
 まずショート・リストされたならば、研究発表の訓練を集中的にする。(何回応募してもショート・リストされなければどうしようもないのはいうまでもなかろう。)面接の練習もする。講義の練習もする。なにしろ当日、緊張するのは眼に見えているのでリハーサルが有用なのだ。
 実際、採用するほうからみれば、練習してきた候補者とそうでない候補者との違いはキッチリわかる――いるのである、あきらかに練習せずにヌケヌケと研究発表する人が。このギョーカイ、研究発表の成功・失敗は採用・不採用の決定に重要な意味をもっている。この研究発表の場では、聴衆側は注意深く候補者を吟味する。いわゆるフォーマル・プレゼンテーションなので、発表する方も発表を聞く方も真剣勝負である。
 発表内容や発表方法はもとより、発表の後の質疑応答中の態度も良く見ている。部屋にいるセンセーたちは、「このワカモノ、われわれの同僚としてやっていけるタマなのかどうか」とじーっと観察しているのである。研究の質はどうか、研究内容を専門家ではない(しかし同じ学徒としての)同僚に理解できるべく説明しているのか、つまり学問のプロとしての発表となっているか、というのが教授センセーの関心である。はたまた、質疑応答の時間中、少々いじわるな質問をする老教授もいよう。質問の内容がわかりにくいときもあろう。しかし、いかにプロフェッショナルな対応を候補者ができるのか、聴衆側は見きわめようとするのである。
 このような場で多くの候補者が犯す基本的な失敗、というものがある。あるんです、ハイ。それは、自分の専門分野をくわしく語るだけというもの。発表している部屋の中では、その内容を正確に理解できる人は候補者だけとなり、聴衆側の反応は「?」となる。それはそうであろう。その専門分野のプロがいないからこそ聴衆側は公募を出したのであるから。
 聴衆側が知りたいのは、ズバリ、候補者が学問の同僚としてやっていけるかどうかなのである。つまり「専門バカ」ではなくて、「その専門知識を他の学徒の関心につなげることができる人物ーーつまり、いっしょにやっていける同僚」を探しているのである。「この学部に来るのなら、我々の知的関心と直接つながる形でアナタの研究成果の意味を説明してくれ」という気もちで聴衆側は構えている。その期待に添わずに研究発表を終えてしまうと「空振り」となってしまう。まさに聴衆側――将来の同僚たち――とスレ違ってしまうという失敗、波長をあわすことができなくて沈没してしまうという失敗といえよう。
 それは、まさにわたしがやり続けた失敗であった(涙・涙・涙・・・・)。
 就職成功率を最大にするため、日本政治(ならびに外交)やアジア政治の公募に――さらには無謀にも直接関係なさそうな分野の公募にさえ――願書を出しつづけたわたしであったが、研究発表の場で「日本のことをあまり知らない人たちに、日本のことを細かくしゃべる愚」を繰り返したのである。そもそも、日本政治の専門家が必要なので政治学部は日本政治担当助教授を募集する。その政治学部が求めているのは、政治学の一般的概念や枠組みで持って日本政治を説明できる人材、そして日本政治における知見の意義を一般的な政治学の問題につなげる形で解説できる人材であって、単なる「日本政治のことをよく知っている者」ではないのだ。幸い、現在の勤務校に就職が決まったものの、今から思い返せば、まさに冷や汗ものである。
 いまでも就職が決まったときの喜びを思い出す(涙・涙・涙・・・・)。就職後、しばらくたってから分かったのであるが、さまざまな運やご縁、さらには影の支援などもあり、現在の勤務校に奉職させていただくに至ったのであった(またもや涙・涙・涙・・・・)。
 今は採用する側にいるので、採用プロセスの実態がわかる。よーーーくわかる。
 そのようなプロセスでは、他の就職活動の場合と同様に、候補者自身がではどうしようもできない要因があって、それが採用決定に大いに影響することが多々ある。具体的にいえば、その年の採用委員会の構成や応募者のプールの量や質、さらにはそのときどきの採用優先方針(例えば女性を優先するというもの)など、候補者の実力以外の要因が大きく働く。ということで、ショート・リストまで行った後に残念ながら不採用となっても、それは候補者が無能というのではなく「今回、たまたま運がなかった」だけなのである。
 まさに運と縁。実力はあるに限るし、練習はするに限るが、だからといって必ず就職できるというわけでもないのが、人生のアヤなのであろう。

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プロフェッサーX

Author:プロフェッサーX
性格は理系クンに限りなく近い文系学者。仕事の合間をぬって魚釣りにいそしみ、カナダの大自然をエンジョイしている。

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