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リベラル・アーツ大学 → PhD ?

 アメリカのリベラル・アーツ・カレッジ(学部中心の大学)に在学中という、日本人の学生の方から質問をいただきました。将来は経済学のPhDに進みたいが、というお話です。

 アメリカ国内において、大手有名大学で教育を受けた学部生はリベラル・アーツ大学出身者よりもPhD入学競争では有利なのかどうか?

 答えは、「出身校よりも成績が最も重要な要因なので、リベラル・アーツ大学、大手有名大学で勉強しているかは関係なく、抜群の成績をとること」です。

 学部時代の指導教官がどれほど有名であるかどうか(あるいはコネをもっているか)は、気にしないこと。成績が抜群でなければ、いくら有名な指導教官でも強力な推薦状は書いてくれないでしょう(自分自身の評判を傷つけるようないい加減な推薦状は書かないと思われます)。また、成績が抜群であれば、指導教官の知名度にかかわらず、強力な推薦状をその指導教官は書いてくれるでしょう。結局、指導教官という他人の力ゆえではなく、自分自身の努力・能力の結果として合格・不合格が決まるのです。

 PhDプログラムのほうも、毎年(リベラル・アーツ大学を含む)様々な大学の出身者からの願書を審査しています。リベラル・アーツ大学出身者が一方的に不利という話は聞きません。リベラル・アーツ大学出身者で有名な研究者は数多くいます。

 ちなみに、学部生が有名教授から直接親切に手ほどきを受けるという機会は、大手有名大学では珍しいと思ってよいと思います。そういう大学では、実は自分の研究や院生への教育が教授の中心的な関心事項で、学部生の指導は二の次ですから。また、仮にそういった大学での学部時代の成績が芳しくない場合、その大学の「ブランド力」だけでもってPhDプログラムに合格する可能性は極端に低いと思います。やはり、成績がよくないとどうしようもありません(学部に入ったときは優秀であったとしても)。他方、リベラル・アーツ大学でのほうが、教授と学部生の関係が深く、教授は学生の才能・努力・性格など細かく観察できます。となれば、より密度が高い推薦状を教授は書くことが可能となります。もちろん、成績が良くないと教授のほうも説得力のある推薦状を書くことはできません。

 ということで、やはり成績が肝心。そして、成績のほか「勲章」が重要です。Dean's honor list に入ったとか merit scholarship をもらったとか。学生論文集に research paper が掲載されたとか。なにしろ勉強の点で抜きん出ていることです。

 加えて、経済学の研究を将来進めるにあたって、自分にできて他人ができないことを蓄えていくこと。いわゆる自分自身の差別化です。もちろん、成績が他の人よりも良いというのは一つの差別化の形です。それと経済学の中でも自分の得意技を磨くこと(例えば、統計経済学とか、ゲーム理論とか)。他の差別化作戦もありえます。リベラル・アーツ大学では様々な分野の教育を受けるので、例えば経済学と心理学とを組み合わせてみて、将来、経済心理学の道を進むとか(様々な経済学があるので、自分で調べてみること)。もちろん、自分自身の関心がある分野でなければ、こういったことはうまくいきません。

 英語圏での大学で高い成績をおさめるだけでも大変でしょう。また、様々な科目を履修しない限り、こういった「土地勘」はなかなか蓄えづらいでしょう。1・2年生の間は土台を築く時期なので、成績全般だけに注意を払って、自身の差別化は考えなくて良いです。もちろん、体に無理しない範囲でーー自滅しては元も子もないので。体調管理を忘れずに。息抜きの機会、笑う機会、友人と遊ぶ機会も十分にもってください。そして、3・4年生の段階に達したとき、上でのべたような戦略的な発想でもって進んでいくと、PhDプログラムに応募する際に有利な形を整えることができます。ぜひ、がんばってください。
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大学院願書のミスマッチはやめましょう:その2

 このテーマについて、約半年前に書いた。

http://professorx.blog47.fc2.com/blog-entry-173.html

 今、大学院願書作成のシーズン。「おいおい、ミスマッチではないかいな」というケースを、見かける。というか、実はこれ常態化している。ミスマッチのまま願書提出すると、よっぽどのことがない限り、「沈没」。

 つまり、外国から北米の大学院に申し込みたい学生たちによくある問題で、いわゆる「分野の壁を越えよう」とするもの。いうなれば「越境希望者」。

 どういうことか。

 文系において、カナダ・アメリカの大学では伝統的学問の学部(経済学、政治学、社会学など)と学際的な学問の学部(情報文化学、犯罪心理学など)とに分かれている。前者は discipline とよばれて、各々独自の学問体系を形成している。後者は interdisciplinary studies と呼ばれる、いわば「寄り合い所帯」。日本での「総合政策学部」とか「国際関係学部」とかは、この後者にあたる。(教員リストみてごらんなさい。歴史学者、政治学者、経済学者など様々でしょ、そういう学部では。)

 まず、伝統的学問の学部。大学院レベル(とくに博士課程レベル)になると、それまでよっぽどその分野での訓練を受けいていないと到底うまくいかない。となると、これら学部間の移動はかなりむずかしい。例えば、学部で政治学部だったけども、大学院で経済学部に行くのは並大抵ではない。それに輪をかけて、大学院に入るのは大競争状況である。バトルの世界。「他の願書は経済学部の学生からだけど、私のは政治学部から」という不利な状況で、入学を勝ち取るのはよっぼどのことが無い限り、普通は無い。

 次に伝統的学問の学部と学際的学部との関係。後者は寄り合い所帯なので、前者から後者への移動はOK。その逆は無理っぽい。例えば、学部で国際関係学部なんだけども大学院で経済学部に移動というのは、イバラの道。つまるところ「君、経済学の十分な素養・訓練なしでどうするつもりだ」ということで却下される可能性が高い。それにここでも「大学院入学審査はバトル」という状況。「越境希望者」は英語で言う uphill battle に直面する。

 逆に、伝統的学問から学際的学問への「越境」は、その逆と比べれば比較的スムーズ。上の例を続けば、経済学部から国際関係学部への進学においては、uphill battle はあるかもしれないが極端なレベルのものではない。

 ということで、こういった学部間・分野間の見えない「学問の壁」がある、カナダ・アメリカでは。「越境成功」という例外も無いことない。(それに地理学とか歴史学とかは実は伝統的学問でも、チト学際っぽい。)だけど、基本はこう。

 なので、外国人学生がカナダ・アメリカの大学院に申し込む際、こういったことを知らずに「越境希望者の願書」を出しても無駄玉となる確率が高い。越境ではない場合でも、大学院入学プロセスはそもそも一大バトル。同じ分野にとどまっていても、それに勝てるかどうか定かではない。であれば、「越境希望者の願書」が成功する望みはほぼ無いと思ったほうがよい。(それに加えて英語力の問題もあろうーー新しい分野に移動するには母国語でもなかなか難しい。)

 外国人学生からメールで、「センセーの学部・学問に興味関心があります。センセーのところの大学院、申し込みたいんです。センセー、指導教官になっていただけませんか(ただし、学部では畑ちがいの分野です)」という連絡がよく来るのがこの季節。ここで書いたような内容を返信して説明している。

 「ご自分が訓練をお受けになった学問分野での大学院に申し込みなさい、カナダ・アメリカの大学院に進みたいのならば。それが一番の近道です。Good luck.」

 

 

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アメリカのPhD取得には勉強1万時間が必要

と、今野浩先生(スタンフォードPhD)が述べておられます。

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2188?page=1

 これ、今野先生(『工学部ヒラノ教授の事件ファイル』新潮社2012年の筆者)のインタビュー記事。先生の書かれたこの本も、暴露本で興味ぶかいです。

 「勉強一万時間」発言はインタビュー記事3頁めに出てきますが、それ以外にも「なるほど」とうなずける指摘が多いと思います。

 まずはこの記事、ごらんあれ。

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日本で習った「概論」が「概論」でない?

 北米と外国との間にはギャップがある。学制のギャップ。制度のギャップ。それに学風のギャップ。

 このギャップを十分に認識しないで、ノホホンと北米に「参入」しようとしても痛い目にあうだけ。大学院入学申請に関しては前に記したとおり。(この点を踏まえたうえでキッチリ願書を作成するには、昔のブログエントリーごらんあれ。)

 このギャップ、別の形で生じることもある。

 例えば、これまた前に触れたように、文系の学問、それもいわゆる輸入学問の分野において、日本では知識を体系的に教えていないことがママある。

 「概論」とある講義、本来ならば、その分野を体系的に網羅するはず。なのに、実際は、たまたま担当となった教員センセーが自分の関心あるテーマだけ滔々と述べてお茶を濁している・・・というイタイ状況が大いにありえる。

 で、そういった講義を日本で履修しおえた学生が、北米で同じ分野の「概論」を履修して愕然とするのである。日本でうけた講義は実は(本来の意味での)「概論」ではなかった、と。

 最近、この問題は昔ほどひどくは無いみたい。良い教科書が日本語で出版されてくるようになり、そういった分野では改善されているし、また、若い教員の間では、より体系的な分野の理解度が高まっているように見受けられる。

 加えて、インターネットのおかげで学生自身、北米の状況にかんする情報を簡単に入手できるようになった。

 どういうことか?

 上で触れたような「概論」のコースシラバスを北米の大学のサイトで見つけて、どういった内容を講義しているのかチェックできる。また、博士課程の学生であれば、北米の大学の comprehensive exam むけの文献一覧をダウンロードできる。はたまた、ユーチューブなどで北米の大学講義ビデオを見ることができる。(もちろん、英語できなきゃダメ、であるが。)

 北米の大学にくる、意欲のある学生のみなさん。こういう準備、必要ですよ。こっちに来た際、北米の大学と日本の大学とのギャップが越え易くなるので。

 昔はインターネットなかったので、準備のしようもなく、「即・本チャン・一発勝負」の世界。皆さんはラッキーです。こういった技術があるので。多いに活用すべし。

 

 

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大学院願書ミスマッチは避けましょう

 コレ、何のことか?つまり、願書提出先の大学院が「うちは、これがウリです」ということをキッチリ理解していないまま、何気なく願書を提出するのは避けましょう、ということ。

 あるんです、こういうケースがオウオウにして。特に外国から提出されてくる願書。

 例えば、とあるヨーロッパの学生。学部では日本学専攻(とくに人文地理学)だったのに、比較文学の大学院プログラム(カナダ)に申し込んだ。大学院側は「ふむふむ、この学生、比較文学の科目をとったのか、あるいはそれに準ずる文学研究、やったことあるのか。そんでもって、修士論文書けるのか?それも英語で!」と思って願書を読むに、そういった素養をこの願書は示していない。即ボツ。

 願書提出先の大学院のことをキチンと調べていないからこうなる。とはいうものの、なぜこのようなことが起きるのかは、想像がつく。というのも、北米の大学とそれ以外の大学との制度的・学問風土的違いがあるのだが、このギャップがなかなか理解できないのである。もちろん、自分の国の中で、北米の大学に関する知識を持っている人のアドバイスをうけることが出来ればラッキー。あるいは、そういった国際間の違いがあまりない分野(理系や経済学・心理学)では、こういった心配は無いかもしれない。

 あと、いるんですよ。「自国で英語教えているんですが、今度、そちらの(北米の)大学に一年間客員教授でお邪魔したい。いかが?」という問い合わせ。そういう問い合わせが教育学部に行けば問題ない。が、北米の大学事情を知らないセンセーたちは、彼(女)の国のことを研究している北米の学部に問い合わせしてしまう。

 例えば、某アジアの国からの問い合わせは、アジア研究学部にくる(あるいはアジア関係の研究所)。アジア研究学部は英語教育法には関心なし。北米での英語教育法の研究者たちと交流するなら、教育学部に行かないと。

 まあ、こういうことで、ミスマッチは起こります。大学院願書の場合、こういったことは避けたほうが良いですね。大変な時間とお金を使って願書作成・提出するわけですから。

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Author:プロフェッサーX
性格は理系クンに限りなく近い文系学者。仕事の合間をぬって魚釣りにいそしみ、カナダの大自然をエンジョイしている。

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