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非常勤講師の悲哀、カナダ方式

に関する記事が出ております。

http://www.cbc.ca/news/canada/most-university-undergrads-now-taught-by-poorly-paid-part-timers-1.2756024

記事によれば、おおよそカナダの大学システム全体で、半数以上の学部科目が非常勤講師によって賄われているとか。

この記事に書いてあること、現場にいると実感します。 
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非常勤講師の悲哀、アメリカ方式

 日本の大学で教鞭をとる者のうち、非常勤講師、つまりパートタイム教員の数が多いのはよく知られている。実際に大学が提供する講義数のうち、かなりの数が非常勤講師によるものである

 他方、非常勤講師の方からみれば、重労働で報酬も高くない。生活していくには、数校で週10コマ(あるいはそれ以上)を負担するという具合である。こういった状況について、以前「高学歴、ワーキング・プアー」という言葉が出てきたのを覚えておられる読者もおられるであろう。

 以下のサイトによれば、W大学で提供されている約2000コマの講義のうち約半分が非常勤講師たちによるものだとか。その非常勤講師たち、年収は200~300万円。(この大学の正規教員は給料が比較的高いことで知られている。)

http://www.mynewsjapan.com/reports/1359 

 アメリカにおいても事情は似ている。現在アメリカの大学(短大を含む)で教えている全教員のうち、非常勤講師が占める割合は何パーセントぐらいと読者は思われるであろうか。

 答え: 約70パーセント。

 そう、7割である。高い率である。おしなべていえば、学生が接するほとんどの教員が非常勤講師ということとなる。(この数字、全米平均のものなので、有名大学では該当しないことに注意。)博士号をがんばって取って、やっと就職してみれば、現場では非常勤講師がゴロゴロ、ということとなる。ちなみに、これらの非常勤講師もすべて博士号をもっている(はず)。しかし、日本と同じで給料は低い。大学からの福利厚生も無し。

 ワシントン・ポスト紙に出ていた非常勤講師(そこでは adjunct professors となっている)に関する記事をごらんあれ。

http://www.washingtonpost.com/opinions/adjunct-professors-fight-for-crumbs-on-campus/
2014/08/22/ca92eb38-28b1-11e4-8593-da634b334390_story.html

 大まかにいって文系博士号の「賞味期限」は3年間。博士号を取って3年以内に正規の教職(tenure-track の assistant professor のポジション――40~200倍の競争率)に就くことがでこなければ、ずっつーと非常勤講師ということになる。

 他方、大学側からみれば非常勤講師を使うことは、予算上安上がりになる。正規教員を雇うのは高い。そのうえ正規教員は研究もする。非常勤講師の賃金は低く、福利厚生も必要ない。そのうえ教育だけやってくれるので効率が良い。ということで、一正規教員を雇うより非常勤講師を複数雇うほうが大学側にとって都合が良い、という構造となっている。なにしろ、多数の学生(収入源)をいかにして絞った教員予算(経費)でまかなうか、ということで経営が成り立つのであるから。

 こういった事情で、70%という数字が現実となっている。

 学生のほうからみれば、これは好ましいのか?好ましくないというのが正直なところ。

 一般的に言って、正規の教員による教鞭のほうが質が高い(もちろん例外はある)。一番の問題は推薦状である。つまり正規教員(とくに正教授や准教授などテニュア、つまり終身雇用権をもっている教員)が執筆する推薦状ほうが、非常勤講師の書く推薦状よりも信頼度が高い。研究者としての視点ならびに、長い教歴がものをいうからである。

 例えば、推薦状を書く際に「推薦者であるあなたは、過去に何年、そして何人教えてきましたか。それらの学生総数と比べて、あなたが推薦するこの学生はトップ何パーセントぐらいの範疇に入りますか」といった質問に答えないといけないからである。たいていの非常勤講師は若くて、教歴もあまりない。また、「大学院に進むにあたり、この学生が研究者としてやっていく素質をどう見ますか」といったような質問にも非常勤講師―ー大学院生の指導も普通はしないーーは強力な答えを提供することができない。

 学生にとっては正規教員による推薦状のほうが効果的なのである。しかし、教えてもらった先生が非常勤講師ばかりならば、いかにして強力な推薦状を3通手にいれることが可能となろうか?可能でなければ、大学院に進学できる可能性が低くなってしまう・・・・。

 こういった複雑な事情が「約7割が非常勤講師」という数字の裏にあるのである。

 

学術雑誌の編集にかかわる

といっても、ピンとこないかもしれない。教授といえば、「教育(講義)している、(どこかで)研究している」という印象しかお持ちでないかもしれない。

 教授にとってその他の活動多々あれど、現在ワタクシは学術雑誌の編集にかかわっている。それも2つの(両方とも英文誌)に。

 学術雑誌というのは研究者が研究論文を提出し、査読(審査のことをいう)をうけ、「狭き門」をくぐりぬけたものだけ掲載されるというもの。(日本の大学でよくみる「紀要」はこの意味での学術雑誌にあたらない。査読プロセスがなく、そのまま掲載されるので。)

 この「狭き門」、かなり狭い。

 ワタクシが参加している二つのうち一つが公式に発表している「成功率」は10%。そう、10本(これ、すべて博士号所持者が執筆したもの)のうち1本しか「狭き門」をくぐることしかできないのである。

 この「狭き門」の番人が編集委員会(その長が編集委員長)。提出された論文むけの査読者(審査する研究者)を3人ほど見つけ出し、それらの審査結果を踏まえ採用するかどうかを決める。当然、その論文も読んで独自にその質を判断する。さらには、適切な査読者を選ばなければならないので、学会でどのような研究者がどのようなテーマで仕事をしているかという土地勘がないといけない(ワタクシが関わっているのは英文誌なので、当然、英語圏の学会の土地勘が必要)。

 では、どういった論文が採用されるのか?言い換えれば、どういう論文を編集委員会が望んでいるのか?

 概していえば、採用される論文は「新しい知見」、それも「活字として公表される価値がある、新しい知見」を提出するものでなければならない。より正確にいえば、「これまで出版されてきた数ある研究が抱えている問題点、それも解決必要な問題点」を把握しているだけではなくて、それをうまく解決しているという論文である。言い換えれば、そういう形で「学問の前進に貢献できている論文」。この要件、満たすのがなかなかムズカシイ。

 だから厳しいわけである。だから「成功率10%」なわけである。まさに「学問の真剣勝負」。

 そもそも査読プロセスに入る前に「この論文、価値ある知見をキチンと提出・展開していない」と即却下されることも多い。提出された論文のうち、40-50%ぐらいがこの「即却下組」に属する。

 ということで、こういったクオリティー・コントロールを受けたのち、論文が活字になるわけ。学生には論文を読ませる前にこういった査読プロセスの話をすることにしている。(もちろん、そのうえでその論文を批判させるのが北米でのキマリ。)

 学術雑誌の編集に直接かかわらなくても、査読者としてお声がかかるのが教授の業務の一部となっている。ワタクシも編集委員ととしてかかわっている二つの学術雑誌以外のものから「この論文、査読してくれ」というお声がかかってくる。

 一見、裏方稼業に見えるこういった学術雑誌関連の業務も、教授にとっては重要な活動なのだ。
 

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採点の季節

 採点の期間がやっと終わった。正直いって、この作業は楽しくない。(学術論文の審査ーー査読というーーのほうが楽しいと思う。)

 この前、日本からの客員教授が「私は400人の学生のテストを一人で採点します」とおっしゃっていたのには驚いた。それも論述式のテストとか。ワタクシには到底無理。400人分も無理。100人でも無理。

 北米の大学では論文(ターム・ペーパー)が必須のクラスが多いので、当然、教員もそれを採点しなければならない。論旨展開はもとより、資料や書式といった点に対しても注意を払わなければならない。問題の設定はどうか、議論が理路整然とされているかどうか、資料の使い方がどうかとか、チェックするわけである。もちろん、文法も。

 これ、シンドイ。手間がかかる。妻いわく「学生の論文を採点するのは、面白くないTV番組よりも、苦しい」。

そのココロは。 「TVだとスイッチ・オフできるが、論文採点からは逃げることが出来ない。」

 なるほどと思う。あっばれ、我妻よ(彼女も大学院生時代、学部生の採点をした経験あり)。

 論文での反則は剽窃(日本でいうところのコピペ)で、テストにおけるカンニング同様、これは厳禁である。ばれれば、即、ゼロ点。

 最近は turnitin.com というサイトが便利。学生が論文をアップロードすれば、何パーセントの確率で剽窃したか、数字が出て来るというもの。ワタクシの科目も、これを義務化している。これができる前は、探偵のごとく「あれ、この論文おかしいぞ。どこから書き写してきたのか」と図書館などをチェックしなければならなかった。

 インターネットでコピペの可能性が増えたかもしれないが、その反面、turnitin.com のようなサービスもインターネット時代の賜物。そのせいか、剽窃する学生は(ワタクシの範囲では)最近は出てきていない。

 ここまで読まれた方、「あれ、4月末で講義が終わりで試験なの?少々はやいんじゃ・・・・」と思われているかもしれない。アメリカでは5月まで講義があるが、カナダでは4月まで。少々短いのである。

 採点がおわったので、ちょと息抜きしたい。

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日本と英語圏との狭間での大学教育

 最近、中央大学のウエブで興味ぶかいオピニオン・コラムを見つけました。

http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/education/20130718.htm

筆者は国際政治学者の泉川泰博教授で、英語圏でも大活躍中の研究者です。同じ業界の同僚でもあります。

 そこで彼の言っていることには、まったくうなづいてしまいました。何点か彼は指摘しているのですが、ここでは彼の英語での講義法について触れたいと思います。

 日本の大学で英語のみで講義するというプログラムが多数誕生しているのは、みなさんご存じのとおりです。ところが、実際にはいろいろ複雑な問題があるようです。例えば、教員確保がなかなか簡単にはいかないことがある、と聞いています。つまり、英語ネイティブの教員を採用したいものの、様々な事情で簡単には確保できないのです。(例えば、日本の大学側の都合で4・5年の有期制で採用したいとしても、そのような「先がみえない」仕事に自国を離れて日本に来る研究者はめったにいない。)となれば、泉川教授のような日本人で海外留学組に講師の仕事が回ってくることとなります。このような人たちにとっては、これまた仕事が増えるというわけ。

 他方、こういった英語で教えるプログラムには、非英語圏の学生(日本人学生もふくむアジアの学生)が多いです(まあ日本でやるわけですから当然といえば当然ですね)。英語を外国語とする教員が英語を外国語とする学生に教えるわけで、これまた苦労があります。

 そこで泉川教授が書かれている「英語で教えることの困難と試行錯誤」が、大いに参考になります。

 実は私も短いながら、日本でこういった経験があるので、泉川教授の文章にはうなずいてばかりです(「京ことば風英語」でもって日本の大学で教鞭をとったことあり)。カナダの勤務校でも留学生を相手にすることが多いので、その文脈でも参考になります。

 いちど、泉川教授のコラム、ごらんあれ。

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プロフィール

プロフェッサーX

Author:プロフェッサーX
性格は理系クンに限りなく近い文系学者。仕事の合間をぬって魚釣りにいそしみ、カナダの大自然をエンジョイしている。

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