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教授になる方法:テニュアー獲得(1)

 すこし前までは、日本の大学では一旦採用されれば、定年まで安泰であった――よっぼど(社会的な)悪事をはたらかない限り。本職で体裁があがらなかっても――極端な場合、二〇年間論文一本も出さなくても――クビにならなかった。いや、コレ、ほんと。つまり、院卒新規採用と同時に終身雇用権がもらえたのである。
 この終身雇用権、英語ではテニュアー( tenure )というのは既に触れたとおり。このテニュアー、国家権力を批判しても解雇されない権利、つまり言論の自由の権利、を本来は意味した。
 「てっつーとー、なにかい、『終身雇用権』というおめえさんの訳語は、ちょっと、アレかい、もんでーじゃーネェーのかい?元来のニュアンス、正確に伝えてねぇーんだからサァ」
と江戸っ子の読者は反応するかもしれない。スルドイ指摘である。さすが、江戸っ子。
 しかし、関西人としてこのわたしは黙ってはいられない。
 「学者として一人前になったことをここに認めるので、大学教授として学問の道をまい進せよ――そのための生活保障はするから、ネ♥」
という意味でテニュアーという言葉は現在では使われているのが実情。なので、「終身雇用権」としたほうが現代日本人の感覚ではピンとくると思われる。
 どうだマイッタか。
 いずれにせよ、北米の大学では院卒新規採用の場合、テニュアーは採用と同時にもらえない。暫定採用期間ともいうべきものが、採用後六・七年も続くのである。その間、助教授( assistant professor )という肩書きで仕事をする。テニュアーをもらって准教授( associate professor )に昇進する、それでもって初めて地位的にも財政的にも安定する、というのが北米の学者の本音である。その時点で長く険しい「教授職に至る道」がとりあえず完了する――もちろん正教授( full professor or professor )になる道のりは残っているが。
 ここでは、どのような形でテニュアーがおりるのか、(大学によって実際のルールは異なるが)わたしの大学を例にして説明していこう。

◆審査プロセス

 大学教授への登竜門は、当然、まず助教授で就職すること――そのような職を tenure-track といって非常勤と区別している――である。これに成功すれば、テニュアー獲得をめざすこととなる。うちの大学の場合、採用後、五年間の間、研究と教育(それにほんのちょっとだけ行政)に専念する。
 で、運命の六年目。ダ、ダ、ダ、ダーンとなる。まさにベートーベンのあの曲がかもし出す雰囲気がやってくる。
 この年、ながなが一学年にわたるテニュアー審査が執り行われる。(この間も研究と教育は続ける。)この一学年、緊張のあまりジンマシンができる。それに、寝ているときは歯ぎしりが止まらないほどストレスが溜まる――恥ずかしながら、コレ、わたしの実体験。
 六年目冒頭、学部の審査委員会(学部長がその長)に研究業績ファイル・教育業績ファイル・行政業績ファイル、それに履歴書とカバー・レター(手紙形式で自分の業績のハイライトを並べ、「テニュアーちょうだい」とアピールするもの)を提出する。それでクビを洗って待つのである。
 研究業績ファイルには、活字出版された学術論文や学術書などといった自分の研究業績などをいれ、学問分野の知識発展にいかに貢献してきたかを示す。そのほか、自分のこれからの研究構想や現在進行中のプロジェクトなども明らかにして「生産的な研究者」であることを証明するのである。
 その研究業績であるが、テニュアをもらえるのにクリアーしなければならない量や質、というのがやはりある。そのような「合格ライン」は分野や学部によって異なる。例えば、「学術書が一本、それに論文少し」というもの。そのほか、「論文は最低何本ないとイケナイ」という内規をもっているところもある。あるいは「こことあそこの研究雑誌に出た論文しか認めないヨ――あとはクズ」というものも聞いたことがある。うちの学部は前者二つの混合型を採用している。いずれにせよ、指定されたハードルをクリアーしていなければ、テニュアー審査不合格がほぼ自動的に確定する。 
 他方、教育業績ファイルに入れるのは、「私の教育哲学」と題する小論、シラバスと呼ばれる履修要綱(自分のコースのもの)、学生のコース評価表(学生が教師を採点するアンケートが各コースごとになされる、その結果が示されている)、テスト問題のサンプルや、作成した教材のサンプル、学生が提出した論文のサンプル(学生の名前は消してある)等々。要は、教育者としての全体像が提供できるようにする。
 最後は行政業績ファイルで、自分が参加してきた委員会やそのほかの行政活動(対外広報活動など)を認めてもらうのである。
 テニュアー審査における研究・教育・行政業績間のウエィトは、だいたいのところ、七十%、二十五%、五%というのが相場――と思う。この数字は分野や学部、さらには大学によって異なるし、同じ学部内においても例外ケースがあろう。また、表向きの数字と実際の数字が違うこともある――このテのことは、内部の者にしかわからないことが多い。しかし、なんだかんだいっても、結局は研究業績がものをいう、という点では変わりないと思われる。
 仮に、教育・行政がまったくダメな人でも研究業績が抜群であればテニュアーをもらえる可能性が高い。その逆のパターン(天才的教育者で抜群の行政力もあるが、研究はダメ)というのでは、テニュアーはおりないのがほぼ確実。教育・行政の分野で少々問題あっても、研究面がよければテニュアーを獲得できるのが実情なのである。助教授連中が大学院時代のペースを落とさず、研究に血まなこになって励み、論文・著書にこだわるのも、この構造をみれば自然な反応なのだ。
 さて、所属学部の昇格審査委員会にファイルを提出した後、審査委員会は(主に)研究業績ファイルを複数の外部審査員に郵送する(うちの大学では六人)。この外部審査員はテニュアー申請をしている助教授が専門とする分野の人々で、国内外のその道のプロ。これらの人々がファイルを読んで「この助教授、学問に適切な貢献をした、しない」、つまり「テニュアー支持、不支持」と判断するのである。この判断は、当該助教授の生産した学術的著作の量と質に基本的には基づいている。ひとつの学部は、専門分野が異なる人間が集まっている団体にすぎないというのが実態であって、同じ同僚でも専門分野がひとつ異なれば、その同僚の研究業績を判断するのは並大抵のことではない。だから外部審査員に頼ることになる。
 「で、その外部審査員、何人から支持があればテニュアーとやらをもらえるんだい?」
またまた江戸っ子の的を射た質問。ウレシイ。
 うちの大学の場合、六人中五人以上の支持が必要である。つまり四人しか支持がない場合は失格。それ以下でも、もちろん失格。キビシイ。ギリギリ過半数ではダメなのである。昇格審査委員会は外部審査委員会の票を参考にして、独自に審査結果に関する最終決断をくだす。が、やはりその性質上、この六票のゆくえが決定的に重要となる。
 この結果を大学当局のエライさんが目をとおして、最後は学長の正式な決定が下される。この「学部より上」の過程では一回ないしは二回の審査が普通ある――そう、まだ続くのである、試練の道が。イバラの道が。これがまたクセモノで、場合によっては、学部委員会レベルの審査結果が覆されることもありえる。ということで、学長からの正式な手紙がくるまでは(だいたい審査が始まって半年以上あと)、オチオチ安心できない。
 だから、わかるでしょ、ジンマシンや歯ぎしりするほどストレスが溜まるのは。

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テーマ : 海外留学
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性格は理系クンに限りなく近い文系学者。仕事の合間をぬって魚釣りにいそしみ、カナダの大自然をエンジョイしている。

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