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国立大文系カット?またも迷走

というか、なんというか・・・。

 そう、最近の文部科学省による国立大学の文系学部「再編成・廃止」論のことである。

 これまでのロースクール制度設計の完全な失敗(誰も責任を取らないのがまさに日本的)、スーパーグローバル大学構想のあぶなっかさ(現場の教員の仕事量が増えるだけ)につづく迷走としか、いいようがない。北米でもこの手の「大学の職業訓練学校化」発想が強くなって久しいが、リベラル・アーツの伝統があるゆえか、ここまで見識のないような政策はでてこない。

 ズバリいおう。この文部科学省の新方針、反民主主義的というか日本の市民社会の根幹を攻撃する、ゆゆしきものである。

 日本のような民主主義社会の根幹は、独力で考える(政府を批判できる)市民社会層が広く存在することに他ならない。そういった市民社会、とりわけその社会の最高学府を卒業した者たちが構成する上層部においては、人文・社会科学の素養が広く行き届いていることが必要である。そして、そういった基盤の上にこそ、政策決定エリート(国の運営をつかさどる)が立たなければならない。

 歴史・文学・哲学といった分野での知識に基づく人間や社会への深い洞察、それに判断力が市民層のなかに充満していない社会は、全体主義に走りやすい社会である(くわしくは後述)。上でいうような健全な市民層のなかから政策決定エリート(官僚・政治家もふくむ)が出てこなければ、彼・彼女らが複雑な国際社会において日本を運営していく際、間違った道に進みかねない。

 それほど人間社会は複雑なのである。ジレンマや不条理、さらには情や愛といった「非合理的要素」が満ち満ちているから複雑なのである。その複雑さを理解しようとして、歴史学・哲学(宗教学をふくむ)・文学、さらには心理学といった分野での偉人達が1000年以上も知的格闘してきた。また、政治学・経済学・社会学といった社会科学系の分野でも、皆が知恵をしぼってきた。そういった文系学問がこれまで積み上げてきた知恵や英知、洞察を知らない人材が増えて行くような教育制度の設計・実施は、まさに自殺行為としかいいようがない。例えば、読者が所属する組織において、人間や人間関係というものに対して洞察力がない、(状況)判断力がない、人望がないリーダー(そしてリーダー予備軍)しかいないといった状況を想像してほしい。そういった組織が長期的には成功するとは思えないであろう。

 さらに、次の2点を考えてほしい。

(1) ファシズムの一つの定義に、「独力で考えることにつかれた人民が、『楽だから』といって政府に無批判的に迎合する状況」というのがある。独力で考えることができない人間からなる社会、人間社会に対する洞察ができない人間からなる社会、もっといえば「理系クン」(技術屋)からだけ成りたっている社会を作り上げていくような文教政策は、民主主義弱体化の効果をもってしまう。とりわけ、「皆がいきたがる大学」にそういった政策の焦点をあてることは、効率的に民主主義の基盤を弱体化することになる。今回の国立大学における文系学部の大幅削除政策はまさにそういったタイプのものといわざるをえない。

(2)イギリスの首相、アメリカの大統領で理系クンはほぼいない。

 少々長くなったが、こういったところまで頭が回っていないみたいである、今回の方針決定に際しては。あさはかと思う。

 日本学術会議は反対声明をだしたが、それ以降の動きについては以下のブログ(8月1日のエントリー)が参考になる。ご関心あるむきはどうぞ。

http://kakichirashi.hatenadiary.jp/
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性格は理系クンに限りなく近い文系学者。仕事の合間をぬって魚釣りにいそしみ、カナダの大自然をエンジョイしている。

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